2018年1月10日

第67回 株式会社今野製作所 エンジニアリング&サービス部 主査、東京町工場 ものづくりのワ 営業担当リーダー 稲葉真さん

今週のA-LABO INDEXは、先週に引き続き、 株式会社今野製作所 エンジニアリング&サービス部 主査、
東京町工場 ものづくりのワ 営業担当リーダー 稲葉真さんをお迎えしました。

写真は、松風さんと稲葉さん

同業種3社が結成したプロジェクト「東京町工場 ものづくりのワ」。
今週は、このプロジェクトについて、詳しくお話を伺いました。

このプロジェクトの内容について。

1、3社協働のものづくり
2、技術を深めていく
3、人材育成
4、業務の効率化(システムを使う)
5、提案型協働受注(きちんとお金を生んでいくプロジェクトして進めていく)

より詳しい内容はHPで。ぜひチェックしてみてください!東京町工場 ものづくりのワのHP → http://machikoba.tokyo/

「ものづくりのワ」ということで・・・

このプロジェクトでは、現場の職人たちがお互いの工場を行き来して技術の交流を行っています。これは通常の町工場ではあまりないこと。”繋がり”を大切にしているこのプロジェクトだからこその取り組みです。最初は、少し不穏な空気が漂っていても、同じ課題に向き合っているうちに気が付くとお互いに教えあっていたりと良い雰囲気に。小さい会話がどんどんと広がっていく不思議な光景になるとのこと。とても素敵なお話です。
他にも、1社だけでは気づかなかったことが3社でやっていると見えるところが増えたということもこのプロジェクトの成果の一つ。他の会社のここが良くないと思ったところが、実は自分の会社も同じだったり、自分たちを見つめ直すいい機会になったそうです。

また、現在では、職人さんたちの仕事を助ける様な現場で役立つIoT器具を開発中!
実現したら、職人の世界が変わるかも・・?

そして、稲葉さんの”ものづくり”への信条や、大切にしていることについて。
それは、今野製作所のテーマ『職商人(しょくあきんど)』になること。これは職人としての面と商人としての面を持つという意味。
職人さんは凄い技術を持っているけど寡黙で話しづらく怖いというイメージ。そういった職人の気質やプライドは絶対に必要なモノですが、これはお客様に向いていないと意味がないこと。だからこそ、商人としてお客様の話を聞き、それを最大限に努力することで期待以上のものを結果としてだすことが今後のものづくりに大切。今までと同じことをしていては生き残ってはいけないからこそ、『職人』と『商人』の両方を兼ね備えて、新しいことにチャレンジしていくべきであると、稲葉さんは考えているそうです。

最後は、若き、エンジニアへ、稲葉さんからのアドバイス。
“現代は、情報や物であふれているが、本当に欲しいものは自分で作ってしまえばいい。エンジニアリングとしてないものを作っていくことが最大の魅力。だからこそ、若い方にはいろんな機械に触れてもらいたい。ものを作っていくということを体験していく中で、最初はうまくいかなくても、使っているうちに自分が思い描いていたものが手の中にできていき、それが自信になっていき、そこから新しいものを作っていこうという考えになっていく。そういうことを大切にしていくとエンジニアリングって楽しいのかなって思う。いいエンジニアというのは、自分だけではなく、しっかり相手に合わせられるということが大切。だからこそ、人といっぱい話をして、いろんな話を聞いて、自分の知見を広げて。さらにはいろんな機械を触って、自分でものを作ってみて。そしてエンジニアリングとしての楽しさをどんどん追及していってもらえればいいなと思います。”

稲葉さんのインタビュー。そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
https://www.central-eng.co.jp/
https://www.central-eng.co.jp/legendengineers

それから上記のサイトでは、音楽を楽しむことができません。
音楽を楽しみたい方は、radikoのタイムフリーでどうぞ。

A-LABO INDEX | bayfm78 | 2018/01/09/火 24:30-25:00
http://radiko.jp/share/?sid=BAYFM78&t=20180110003000

 

by vivi

投稿者 : alabo|2018年1月10日

2018年1月3日

第66回 株式会社今野製作所 エンジニアリング&サービス部 主査、東京町工場 ものづくりのワ 営業担当リーダー 稲葉真さん 

新年、あけましておめでとうございます。年が明け、最初のA-LABO INDEX。
今年も、たくさんのレジェンドエンジニアを紹介していきたいと思いますので、よろしくお願いします!

 

株式会社今野製作所 エンジニアリング&サービス部 主査、
東京町工場 ものづくりのワ 営業担当リーダー 稲葉真さん

ちなみに、2人がやっているポーズは、「東京町工場ものづくりのワ」のハンドサイン。
稲葉さんから考えてくれと言われました(笑)

 

稲葉さんのプロフィール

1978年、神奈川県鎌倉市で生まれ、東京都江戸川区で育つ。父親が、金型彫刻の職人であったため、生まれた時からものづくりの世界がそばにあり、自然と金属加工に慣れ親しんでいく。自転車・バイク・車に興味を持ち、中学時代からは、今も趣味にしているマウンテンバイクに熱中。そのうち「市販されていないパーツは、自分で作れば良いんだ!」という考えに目覚め、設計やアルミの溶接を学ぼうと思うようになる。そして、日本大学 生産工学部 機械工学科で学び、卒業後の2001年4月、トステム株式会社、現在のLIXIL(リクシル)に入社。厨房機器製造ラインで現場管理を担当する。
大企業で働く中で、「本当のものづくりは中小企業にあるのではないか」と感じていた稲葉さん。27歳の時、同じ想いを持った、今野製作所の今野社長に出会い、転職を決意。2005年9月、株式会社今野製作所に入社。金属板金加工部門で納期管理・調達から、設計・営業まで、幅広い業務を担当。その後、技術営業担当となり現在に至る。(今野製作所は、油圧つきジャッキを日本で初めて商品化した会社で、長年のものづくりの経験を活かして、着脱可能な、下肢障がい者用 手動運転装置「SWORD(ソード)」を開発。平成24年度の東京都ものづくり人材育成大賞を受賞。)
稲葉さんは、これらの高い技術を持ちながらも、これまでの中小企業では、技術伝承と人材育成が進んでいない現状があると感じ、「それを変えていきたい」、さらには、「そこから生まれる新しいビジネスを作り出していきたい」という想いを抱く。その結果、2013年、東京都足立区と江戸川区の同業種3社が結成したプロジェクト「東京町工場 ものづくりのワ」が誕生する。

大学卒業後、当時のトステム株式会社(現・リクシル)に入社した稲葉さんでしたが、大手企業で仕事をしている中で、衝撃を受けた(驚いた)ことがあったそうです。それは、何十年も地道に仕事をして『一人前』と言われる世界があれば、2日で一人前に働ける世界があるということ。例えば、大手企業では、パートタイマーの方が入って、2日後には、生産要員として不自由なく働けるということ。稲葉さんは、幼い頃から、腕に覚えのある職人さんたちの努力を見て育ってきたため、違和感を持ったそうです。
また、そうして働いていく中で、稲葉さんは、日本には、ドイツのマイスター制度のようなものが必要だと強く感じたのだとか。マイスター制度とは、専門技術職の資格のようなもののこと。ドイツでは、幼い頃から、職人を育てる仕組みが、国の教育のプロジェクトとして整っていて、マイスターを取得すると、大学卒業と同等としてみなされるのだとか。(日本の職人さんは、学歴(中卒、高卒)に負い目を感じてしまう人が多い。)このように、学歴を持つことができる状況になれば、もっと職人の世界に踏み込んでいける人が増え、この世界がどんどん広がることが期待できますよね。
そして、稲葉さんは、27歳の時、同じ想いを持った、現在所属している会社、今野製作所の今野社長と出会い、転職を決意。今野製作所で働くことになります。(当時の面接で、マイスター制度について4時間近く語ったそうです。)
稲葉さんが、今野製作所で仕事していて、外部との関係も増えてきた時に、技術の向上を目的とした社内研修をやっていこうという話が持ち上がります。しかし、自分たちだけでは限界があることや、講師をどうやって探せばいいのかも分からなかったりと、手探り状態に。しかし、絶対にやってやるという熱い想いを持ち、動いていくうちに、同業の方たちと一緒に研修をすれば良いのではないかという発想が生まれ、「東京町工場 ものづくりのワ」のスタートに繋がっていきます。

「東京町工場 ものづくりのワ」は、『西川精機製作所』、『エー・アイ・エス』、『今野製作所』の同業種3社で結成されたプロジェクト。
スタートから4年、たどってきた道のり、そして今、見えてきたものは何か、この続きのお話はまた来週!

稲葉さんのインタビュー。
そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
https://www.central-eng.co.jp/
https://www.central-eng.co.jp/legendengineers

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A-LABO INDEX | bayfm78 | 2018/01/02/火 24:30-25:00
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次回もお楽しみに!

by vivi

投稿者 : alabo|2018年1月3日

2017年12月27日

第65回 株式会社小川製作所 営業・技術担当取締役 小川真由さん

今週のA-LABO INDEXは、先週に引き続き、
株式会社小川製作所 営業・技術担当取締役 小川真由さんをお迎えしました。

写真は、松風さんと小川さん

修業をしていた町工場の業務を、半分のれん分けという形で、引き継ぎ、家業へ戻った小川さん。
元々家業としてやってきた板金加工と、新しくずっと向き合ってきた精密機械加工の二系統の技術を武器に、一からスタートします。(ちなみに、この二つの技術があることによって、図面さえあれば基本的になんでも形にできるそうです。)
さらに、小川さんは、この技術に加え、三次元CADの技術も使うことができるのだとか。(以前働いていた富士重工業での設計や、修業をしていた会社で、三次元CADで図面を三次元モデルに起こす業務の経験から)

写真の小川さんが手に持っているものは、小川さんの顔を三次元スキャナーで読み込んで形にしたもの。ちなみに三次元スキャナーは持ち運びが可能なため、取り外せない部品なども、その現場に行ってスキャンすることができるそうです。
番組の後半は、小川さんが、大事にしていることについて。一つは、技術職に就いている限り、最先端のものづくりに常にチャレンジしていかなくてはいけないということ。そして、もう一つは、失われつつあるものや、継承していかなくてはいけない技術を進化させていきながら継承していくということ(時代のニーズに適応していくということ)。小川さんのものづくりに対する熱い想いを感じます。

最後は、若き、エンジニアへ、小川さんからのアドバイス。
“若い方にはぜひ実際の現場ではどうなのかを見て経験してもらい、それを自分の設計にフィードバックしてほしい。エンジニアリングとは理想的なものと現実的なものの折り合いをつけること。理想は机上でいくらでも生み出すことができるが、現実は現場にしかない。そういった真のエンジニアリングを生み出すため、足しげく現場に顔を出し、実際に作る人と話をして、いいアウトプットを出せるような形にして頂ければなと思っています。”

小川さんのインタビュー。そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
https://www.central-eng.co.jp/
https://www.central-eng.co.jp/legendengineers

インタビューのフルバージョンでは、小川さんが、今までを振り返って正直ピンチだったことや、今後の夢や展望など、もっと深いお話を聴くことができます。ぜひチェックしてみてください!

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A-LABO INDEX | bayfm78 | 2017/12/26/火 24:30-25:00
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by vivi

投稿者 : alabo|2017年12月27日

2017年12月20日

第64回 株式会社小川製作所 営業・技術担当取締役 小川真由さん

株式会社小川製作所 営業・技術担当取締役 小川真由さん

 

小川さんのプロフィール

1980年11月6日生まれの37歳。東京都葛飾区で生まれ育ち、実家は町工場を経営。
小川さんは、慶應義塾大学 理工学部へ進学し、その後、大学院の修士課程へと進む。(大学院では航空宇宙工学を学ぶ。)
修士課程修了後は、富士重工業株式会社 航空宇宙カンパニーに就職。そこでは、新しく開発していた航空機の開発業務に携わり、設計及び試験担当者として従事する。
25歳の時、結婚して家庭を持つことになったため、将来のことを考え、富士重工業を退職。実家の家業を引き継ぐために、町工場で修業をする。その町工場では、金属加工に関わるあらゆる業務を経験し、2012年に、家業である小川製作所に入社する。

小川さんが入社したことにより、元々行っていたステンレスの板金加工に加え、航空機などにも使われる精密機械加工部品の技術も導入。また、エンジニアとしての経験を生かしての設計業務と、町工場で技術以外にも培った、営業、財務面の業務を繋げて一つのものを作り上げる”ものづくりのインテグレータ”の重要性を感じ、日本のものづくりの未来のため、日々取り組む。それと同時に、ボランティア活動として「TOKYO 町工場HUB」という取り組みにも参画。(この活動は、東京の町工場の技術を連携して、国内のみならず、海外のものづくりの需要に応える窓口になること。)
※ちなみに現在の小川さんの肩書である、営業・技術担当とは、営業や技術のどちらか一方の専門に特化するのではなく、お客様がどんなものを求めているのかを直接聞き、そして、実際にそれを形に落とし込むところまでの一連の流れを担当することだそうです。

 

大学時代は、アメリカンフットボールの同好会で活動をしつつ、理工学部で航空宇宙工学の研究をされていた小川さん。卒業後は、富士重工業へ就職します。インタビューのフルバージョンでは、大学時代のお話(アメリカンフットボールの同好会のことや、当時行っていた研究の内容についてなど)や、富士重工業で働いていた時のお話を詳しく聴くことができます。ぜひチェックしてみてください!

そして就職から3年後の26歳の時、転機が訪れます。それは、富士重工業を退職し、実家を継ぐための準備として、実家近くの町工場へ入社したこと。小川さんは、結婚をし、子供ができたとわかったタイミングで、自分の将来像を考え、この道を選びます。また、この町工場に転職する決め手となったのは、”5軸加工”(5軸加工とは、金属加工の技術で、最先端の工法の一つ)に魅力を感じたから。5軸加工を検索サイトで検索した際に、真っ先にこの会社の名前を見つけたそうです。こうして、小川さんは町工場で修業を始めます。

しかし、修業して4年目の31歳の時、会社の社長からリーマンショックの影響で、会社が倒産するかもしれないと、告げられます。小川さんは、社長や、当時の同僚、そしてお客さんからの応援もあり、半分のれん分けという形で、会社の業務の一部を引き継ぎ、家業に入ることを決意します。

こうして、家業に入ることになった小川さん。このあとの奮闘のお話はまた次回のA-LABO INDEXで!

 

小川さんのインタビュー。
そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
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A-LABO INDEX | bayfm78 | 2017/12/19/火 24:30-25:00
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by vivi

投稿者 : alabo|2017年12月20日

2017年12月13日

第63回 株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂貴大さん

今週のA-LABO INDEXは、先週に引き続き、
株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂貴大さんをお迎えしました。

写真は、松風さんと宮坂さん

 

「BONX」の開発にあたって、最初に直面した問題、それはお金のこと。今週は、このお話の続きから。

この問題を乗り越えるため、宮坂さんが、最初に行ったことは、クラウドファンディング。そして集まった金額は、2500万円を超え、クラウドファンディング史に残る高評価を受けます。しかし、実際、それだけでは、開発する資金は足りませんでした。そこで、宮坂さんは国からの援助を受けるため、申請を出します。そしてその申請が、無事に審査を通ったことで、「BONX」がスタートしました。

「BONX」のアイディアは、スノーボードがきっかけでしたが、他にも、幅広いスポーツでの活躍が期待されます。「BONX」によって、新しいスポーツの楽しみ方が、どんどん広がりますね。商品について、詳しい内容は公式サイトで。

BONX公式ウェブサイト → https://bonx.co/ja/

 

番組の後半は、宮坂さんの”ものづくり”への信条や、大切にしていることについて。

それは、ユーザー側としての発想を持てる存在であること。
宮坂さんは、自分自身がエンジニアではないため、自分で手を動かして作れないことにもどかしさを感じる時もあったそうです。しかし、専門の職人ではないからこそ、価値観に囚われることなく、自由な発想を持つことができるとのこと。またその中で、自分だからこそできたこともあったそうです。作り出すことだけがものづくりではなく、ものづくりにはいろいろな形があるのだと、宮坂さんの言葉であらためて気づくことができました。

 

最後は、若き、エンジニアへ、宮坂さんからのアドバイス。

“やりたいこと、自分の好きなことに真っ直ぐになることが一番大事。それが何かをちゃんと探して持ち続けること。それを意外とできない人が多いので。周りの目を気にせずにやり続けることからだと思います。”

宮坂さんのインタビュー。そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
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https://www.central-eng.co.jp/legendengineers

インタビューのフルバージョンでは、「BONX」の名前に込められた意味や想いについても。
気になる方は、ぜひチェックしてみてください!

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A-LABO INDEX | bayfm78 | 2017/12/12/火 24:30-25:00
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by vivi

投稿者 : alabo|2017年12月13日

2017年12月6日

第62回 株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂貴大さん

株式会社BONX 代表取締役CEO 宮坂貴大さん

宮坂さんのプロフィール
神奈川県川崎市出身。東京大学 教養学部 地域文化研究科アメリカ分科 卒業。※在学中、ニュージーランドのオタゴ大学 観光学部に、1年間の留学をする。 その後、東京大学大学院に進み、総合文化研究科 地域文化研究専攻 修士課程を修了。2011年、ボストン コンサルティング グループに入社し、ハイテク領域・消費材領域のプロジェクトに従事する。ある時、ウェアラブルカメラの「GoPro社」の創業エピソードを知り、それをヒントに、スノーボードの世界がさらに広がる「耳に装着するウェアラブルコミュニケーションデバイスを開発しよう」と決意。3年半在籍した会社を退職。
2014年11月、チケイ株式会社を設立、代表取締役CEOに就任。そして、2015年10月、ウェアラブルコミュニケーションデバイス「BONX」を世に発表。(クラウドファンディングで2500万円以上を集める。)
2016年6月には、社名を株式会社BONXと改める。

写真は、ウェアラブルコミュニケーションデバイス「BONX」(ボンクス)

「BONX」は、耳に装着して、相手と会話することができるウェアラブルデバイス。宮坂さんが、この「BONX」を作ったのは、大好きなスノーボードのため。それは、スノーボードをしている最中に、もっと簡単に仲間とコミュニケーションが取りたいという想いからでした。当時、仲間と連絡を取る方法は、スマートフォン(携帯電話)かトランシーバーだけだったため、なかなか気軽に話をしながら、滑ることはできなかったそうです。宮坂さんは、スマートフォンと、スキー場にある電波を使って、もっと良いコミュニケーションツールを作ることができるのではないかと考えました。そこで開発したのが「BONX」でした。
この「BONX」の使い方は、まず、スマートフォンで専用アプリをダウンロードします。そしてBONX本体(イヤフォン型で耳に装着する)とスマートフォンをBluetoothで接続。こうして連動させることによって通話することができるようになります。ちなみに、この「BONX」には、マイクが2つ内臓されているため、ノイズキャンセルもばっちり。クリアな通話にもこだわりがあるのだとか。また、しゃべると自動的に通信が開始されるため、電源のON/OFFは必要ないとのこと。(人の声であるのか、そうではないのかを区別できるそうです。)

ちなみに実際に装着すると、こんな感じ。

ポップな見た目でとっても可愛いですよね。
また両手を使わなくても通話することができるため、スポーツ以外の様々な場所でも活躍が期待されます。
番組の後半は、宮坂さんの人生の転機について。

宮坂さんが、「BONX」のアイディアを思いつき、会社を起業したのは29歳の時で、人生の大きな転機の一つ。このアイディアをひらめいたきっかけは、ウェアラブルカメラ「GoPro」を生み出したニック・ウッドマンの話を知ったから。ニック・ウッドマンは、自らがサーファーで、「自分が波に乗っている姿や、そこから見える風景を撮影したい」という想いから、製品を開発したとのことで、この話にインスパイアされたそうです。(20歳の時にニュージーランドにスノーボード旅行に行って違う世界を知ったことや、24歳の時に子供ができ、結婚して、就職したことなど、インタビューのフルバージョンでは、会社を起業する前の宮坂さんのお話を聴くことができます。ぜひチェックしてみてください!)
こうして、「BONX」の開発へと繋がっていくのですが、問題になるのは、やはりお金のこと。
そこで、宮坂さんは、クラウドファンディングをすることに決めたのですが・・?
この続きは、来週のA-LABO INDEXで!

宮坂さんのインタビュー。
そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
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A-LABO INDEX | bayfm78 | 2017/12/05/火 24:30-25:00
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by vivi

投稿者 : alabo|2017年12月6日

2017年11月29日

第61回 株式会社ニッコー 代表取締役 塩田政利さん

今週のA-LABO INDEXは、先週に引き続き、
株式会社ニッコー 代表取締役 塩田政利さんをお迎えしました。

写真は、松風さんと塩田さん

魔法の水と言われている「液体ガラス」。これを塗れば、防水、防炎、防腐などの効果があります。また、木材や、紙、布、コンクリートなど、使用できる範囲は、とても広く、様々な場所で、活躍することができます。そして、酸化はしないのに通気性は良いのだとか!実際、広島県・宮島の厳島神社や京都の大覚寺、横浜の大桟橋ほか、たくさんの木造の建造物にも使用されているとのこと。こうした技術のおかげで歴史的建造物が守られたり、私たちの身近な建造物の耐久性が上がり安全性の高いものになっています。本当に魔法のような水ですね。

この素晴らしい技術ですが、塩田さんは特許を出さないとのこと。特許を出すことは情報をオープンにするということになり、必ず真似をする人が出てきてしまうから。塩田さんはこの技術を、まずは、日本国内のみで日本のために使いたいと思っています。だからこそ、この技術を守っているそうです。それに日本人の真面目で優しい性格はグローバル競争には向いていないということも海外に出さない理由の一つ。自分たちの身をしっかりと固めてから世界へ向かっていくべきであると、塩田さんは考えています。

塩田さんのものづくりへの信条は人のために働くということ。(人のために動くと書いて働くという字になる)それ以外はなにもなく、生きがいはないとのこと。
塩田さんの強い言葉に、レジェンドたる所以を感じました。

最後は、若き、エンジニアへ、塩田さんからのアドバイス。
“諦めないこと。「しょうがない」という言葉はやめましょう。言っちゃったら、取り消しましょう。どんどん取り消していけば、そのうち言わなくなる。そしたら成功します。”

田さんのインタビュー。そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
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投稿者 : alabo|2017年11月29日

2017年11月22日

第60回 株式会社ニッコー 代表取締役 塩田政利さん

株式会社ニッコー 代表取締役 塩田政利さん

塩田さんのプロフィール

1937年、徳島県生まれ。1956年、徳島県立川島高等学校卒業後、非鉄商社に入社。その会社を経て公共事業関連の会社の立ち上げに関わり、1964年、日建工学株式会社 創立に参加。会社創立から8年後の1972年、常務取締役に就任。1982年、日建工学は、東証2部に上場するが、辞める。
※ある技術者が発した一言「鉄筋コンクリートの寿命は、50年から60年程度」という言葉に衝撃を受け、これをなんとかできないかと、世界にヒントを見出すべく、日本を飛び出す。このことが、「液体ガラス」という世界初の技術の誕生に繋がる。1991年、株式会社日興を創立。この会社で、43アイテムの完全無機質材を開発、コンクリート劣化防止 国土交通省技術認定を取得、全国80社あまりの代理店組織を型成、一流メーカー15社との技術連携を行い、特許も5件取得。T&Cの防食工法協会 会長就任、クリスタルコンクリート協会会長就任を経て、2004年、液体ガラスで話題を呼んでいる現在の会社、株式会社ニッコーを創立する。
翌年には、財団法人日本立地センターと業務提携し、表面処理剤研究会設立、木材の浸透性塗料開発と液体ガラスが本格始動する。

「液体ガラス」とは、簡単に説明すると、常温でガラスを作るという技術。つまり、本来、ガラスは高温で溶かし液体にするのですが、それを常温で安定させるということ。 この技術は木造建築に塗布すると火災に強いなど公共事業や歴史的建造物を守ることに利用されています。
※木材は有機物であるため、燃えたり腐ったり、シロアリに食われたりするが、液体ガラスを塗布することによって表面を無機化させることができそういったものを防ぐことができる。
(インタビューのフルバージョンでは、液体ガラスのさらに詳しいお話を聴くことができます。たとえば、水を通さないのに、通気性があったり・・?他にも、幼い頃の塩田さんのお話も!ぜひチェックしてみてください!)
塩田さんは、高校卒業後、学校の先生のつてで、非鉄商社に入社します。塩田さんは、クラスで一人だけ掃除をするような真面目な性格で先生はそんな塩田さんの姿に好感を持ち可愛がってくれました。
そして、その会社で公共事業関連の会社を立ち上げるメンバーになります。(当時、将来の自分の結婚資金のため貯金をしていた塩田さんでしたが、そのお金を立ち上げの資金に使うようにと渡したそうです。そしてその会社の株主になったのだとか。)  そこでも、持ち前の発想力でいろいろなものを開発されたそうです。
しかし、42歳の時、自分の役目は終わったと思い、新しいことを挑戦するために会社を辞めたとのこと。
その後、塩田さんは医学の道を進むため学校へ行き医学士ライセンスを取得します。様々なアイディアを発信し活躍する塩田さんでしたが、再び、元の業界に戻る道を選びます。
それは、あるエンジニアが言った鉄筋コンクリートの寿命の問題が心に引っかかっていたから。この問題を解決しなければ、この国は大変なことになると、問題の解決に乗り出し、「液体ガラス」の開発へと繋がっていきました。このお話の続きはまた来週!

塩田さんのインタビュー。
そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
https://www.central-eng.co.jp/
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それから上記のサイトでは、音楽を楽しむことができません。
音楽を楽しみたい方は、radikoのタイムフリーでどうぞ。

A-LABO INDEX | bayfm78 | 2017/11/21/火 24:30-25:00
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投稿者 : alabo|2017年11月22日

2017年11月15日

第59回 ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪貴子さん

今週のA-LABO INDEXは、先週に引き続き、
ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪貴子さんをお迎えしました。

写真は、松風さんと諏訪さん

お父様の跡を継いで、32歳の若さにして、主婦から社長となった諏訪さん。
二代目であることや娘であることにより、周りからの評価はとても低かったため、一刻も早く経営を回復させる必要がありました。その中、諏訪さんがまず最初に行ったことはずっと提唱し続けていたリストラの決行。人件費と経費の削減はどうしても避けられない道でした。自分の一言で人の人生を変えてしまうという現実は本当に辛く眠れない夜を過ごすことも。しかし、諏訪さんは”これは自分への試練。今後もっと大変な課題は出てくるはずだから、今、これを乗り越えなくてはいけない。”と涙を流しながらも踏ん張ったそうです。そして、その辛い経験を乗り越え、諏訪さんは「勇気ある経営大賞」優秀賞を受賞します。
様々な細かい改善をしていった諏訪さんですが、その中でも気になるのは「悪口会議」。これはもともと「改善会議」だったそうですが、職人である社員さんたちは会議というものに慣れておらずなかなか意見がでてこなかったため、言い方を変えてみたそうです。社長と会社の悪口をどんどん言うというのがこの会議。もちろん、言いっぱなしではただの悪口になってしまいますが、対策も一緒に発言することで、立派な『対策案』に。こうすることによってみんなが発言しやすい環境を作ったそうです。

インタビューのフルバージョンでは、諏訪さんと社員のみなさんとの、関係性の距離感や、印象に残っている出来事などのお話も聴くことができます。気になる方は、ぜひチェックしてみてください!

 

『町工場の娘』

11月24日からNHK ドラマ10で『マチ工場のオンナ』というドラマが放送されるのですが、こちらは諏訪さんの著書『町工場の娘』が原作になっています。諏訪さんは撮影を見に行き、スタジオで、号泣したとのこと。感動間違いなし!放送が楽しみですね。

そんな、諏訪さんの今後の夢について。
製造業としての夢は、もう一度日本の製造業や、ものづくりに携わる人たちが輝く姿を見ること。個人的な夢は、自分の会社の社員さんが、大田区に一戸建てを建てられるような会社にすること。ものづくりの価値を見直してもらって、ものづくりに携わる人たちが心地よくものづくりができるようにしていくことが、諏訪さんの考える今後の夢であり、展望なのだそうです。諏訪さんのドラマティックな人生のお話。辛い経験が前に進む力になると、勇気をもらいました。

最後は、若き、エンジニアへ、諏訪さんからのアドバイス。

“楽しんでください。ものづくりは楽しいので。ないものから形があるものができるので、夢がある仕事です。それを形作っていくのが、これからの若い人たちなので、頑張ってもらいたいです。”

諏訪さんのインタビュー。そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
https://www.central-eng.co.jp/
https://www.central-eng.co.jp/legendengineers

それから上記のサイトでは、音楽を楽しむことができません。
音楽を楽しみたい方は、radikoのタイムフリーでどうぞ。

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by vivi

投稿者 : alabo|2017年11月15日

2017年11月10日

第58回 ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪貴子さん

ダイヤ精機株式会社 代表取締役 諏訪貴子さん

 

諏訪さんのプロフィール

1971年、東京と大田区生まれ。ゲージ、治工具、精密部品、設計製作などを行うダイヤ精機株式会社の社長の娘として生まれたことと、ある理由によって、幼い頃から、男の子のように育てられる。

「大学は、工学部以外には、行かせない。」という父親の言葉通りに、成蹊大学工学部工業化学科に進学。
1995年、大学を卒業後、自動車部品メーカーのユニシアジェックス、現在の日立オートモーティブシステムズに入社。配属された先は工機部で、その部署初の女性エンジニアとして、キャリアをスタートさせる。

1998年、父親から「会社を手伝って欲しい」と頼まれ、ダイヤ精機株式会社に入社するが、半年後にリストラに遭う。それから時が過ぎ、2000年、再び、頼まれて入社。ところが、経営方針の違いから、2度目の退社を余儀なくされる。

当時、結婚し、子育て中だった諏訪さんは、その後は主婦としての日々を送っていたが、2004年4月、お父様が病気で急逝。5月に、予期せぬ形で、ダイヤ精機株式会社の二代目社長に就任。32歳のこと。

そこからは、経営再建に着手し、新しい社風を構築。その後、10年で、会社を、全国から視察者が来るほどの優良企業に再生。
経済産業省 中小企業政策審議会委員、政府税制調査会特別委員を務め、2012年には、東京商工会議所主催の「勇気ある経営大賞」優秀賞を受賞、翌年には、日経ウーマンの「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2013」大賞受賞。さらには今月24日からは、諏訪さんの著書『町工場の娘』を原作にした、NHKドラマ『マチ工場のオンナ』がオンエア。

 

幼少期の頃から、男の子のように育てられた諏訪さんですが、その理由は、諏訪さんが生まれる前に亡くなってしまったお兄様の存在が関係しているとのこと。「兄の生まれ変わりである」とう両親の言葉や、「兄と一緒に生きていかなくては」という諏訪さん自身の想いを胸に日々過ごしていたそうです。

そして、今回、番組では、諏訪さんの「人生の三大転機」をお伺いしました。

 

第一の転機は『就職』

諏訪さんが就職活動をしているとき、バブルが崩壊し、就職が難しい状況に。また、理系女子は、周りから変わり者として見られてしまうような時代でもあったそうです。そこで、お父様に仕事を紹介してもらうことに。当時、諏訪さんは、お父様に、女性らしい仕事がしたいと、希望を言っており、お父様からは、役員秘書の仕事だと言われて紹介してもらったそうですが、実際、入社したところ、工機部配属のエンジニアで採用されていて、内心、騙された、と思っていたとか。もちろん女性が一人だけということもあり、辛いことや困ったこともたくさんあったそうです。ほかにも、ダイヤ精機株式会社の社長令嬢として、周りから注目されてしまうことも。その後、諏訪さんは、結婚し、子供を出産。会社を退職します。

 

第二の転機は『出産』

諏訪さんは、出産後、専業主婦になり、子育てに励みます。こうしようという子育て論は特になく、とにかくいっぱい愛情を注いであげようと思いながら子育てをしていたそうです。
しかし、出産した1998年と同じ年に、お父様から「会社を手伝って欲しい」と頼まれ、ダイヤ精機株式会社に入社します。
この時、専業主婦では、世の中に取り残されてしまうという気持ちになってしまい、少しだけでも社会復帰したいという思いもあり、入社を決意。しかし、その半年後、リストラされてしまいます。理由は、諏訪さんが、社内分析を行った結果から、お父様にリストラ案を提案したところ、諏訪さん自身がリストラされてしまったから。しかし、2000年、再び、頼まれて入社をしますが、経営方針の違いから、2度目のリストラ。社長が決めたことだから仕方ないと思い「自分のやり方で頑張ってほしい」とお父様に言ったそうです。

 

そして、第三の転機は『社長就任』

お父様が突然倒れられ、ダイヤ精機株式会社の二代目社長に就任。
(インタビューのフルバージョンでは、「ゲージ」についてなど、ダイヤ精機の事業内容について、詳しくお伺いしています。ぜひチェックしててみてください!)

大きな会社を突然継ぐことになった諏訪さん。自らのエンジニアの経験があったとしても、一筋縄ではいきません。

来週は、社長就任から、今の諏訪さんに至るまでの話を伺います!

 

諏訪さんのインタビュー。
そして、これまでのレジェンドエンジニアのインタビューフルバージョンは、セントラルエンジニアリング株式会社のオフィシャルサイトから「レジェンドエンジニアの声」で、お聴きいただけます。
https://www.central-eng.co.jp/
https://www.central-eng.co.jp/legendengineers

それから上記のサイトでは、音楽を楽しむことができません。
音楽を楽しみたい方は、radikoのタイムフリーでどうぞ。

A-LABO INDEX | bayfm78 | 2017/11/07/火 24:30-25:00
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by vivi

投稿者 : alabo|2017年11月10日

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