カテゴリー:Roots of Masters
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“ザ・グレート・ライヴ”です。
♪ウッドストック編
1969年に開催された、今の若者からおじさんまでの音楽の原点。
当時は、1ドル360円、外貨の持ち出し限度額10万円。
初任給が3〜4万円の時代。
日本でも行った(行けた)人は少ない伝説のライヴ。
PAも不安定、トイレなども整備されていない中、
人が人を呼び、50万人もの人を集めた。
最終的には人が集まりすぎて柵が壊れてフリーコンサートに・・・。
この伝説のライヴが映画になって、日本でも公開された。
1回目の上映は並んでやっと入れるほどだったそうです。
♪セレクト曲
The Who「We’re Not Gonna Take It」
投稿者 : mins|2017年4月23日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“ザ・グレート・ライヴ”です。
♪ウッドストック編
1969年に開催された、今の若者からおじさんまでの音楽の原点。
当時は、1ドル360円、外貨の持ち出し限度額10万円。
初任給が3〜4万円の時代。
日本でも行った(行けた)人は少ない伝説のライヴ。
PAも不安定、トイレなども整備されていない中、
人が人を呼び、50万人もの人を集めた。
最終的には人が集まりすぎて柵が壊れてフリーコンサートに・・・。
この伝説のライヴが映画になって、日本でも公開された。
1回目の上映は並んでやっと入れるほどだったそうです。
ウッドストックの出演アーティストはロック系が多かった中で、
クロスビー、スティルシュ、ナッシュ&ヤングはアコースティック系だった。
4人のハーモニーだけで50万人を黙らせる彼らの演奏は、圧巻の1言。
♪セレクト曲
Crosby, Stills, Nash & Young「Wooden Ships」
投稿者 : mins|2017年4月16日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“ザ・グレート・ライヴ”です。
♪ウッドストック編
1969年に開催された、今の若者からおじさんまでの音楽の原点。
当時は、1ドル360円、外貨の持ち出し限度額10万円。
初任給が3〜4万円の時代。
日本でも行った(行けた)人は少ない伝説のライヴ。
PAも不安定、トイレなども整備されていない中、
人が人を呼び、50万人もの人を集めた。
最終的には人が集まりすぎて柵が壊れてフリーコンサートに・・・。
この伝説のライヴが映画になって、日本でも公開された。
1回目の上映は並んでやっと入れるほどだったそうです。
ジャニス・ジョップリンは人間の常識みたいなものを一切排除した、
純粋な「声」みたいな存在だった。
ウッドストックに出演したのは、彼女が亡くなる1年前。
♪セレクト曲
Janis Joplin「Try(Just A Little Bit Harder)」
投稿者 : mins|2017年4月9日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“ザ・グレート・ライヴ”です。
♪ウッドストック編
1969年に開催された、今の若者からおじさんまでの音楽の原点。
当時は、1ドル360円、外貨の持ち出し限度額10万円。
初任給が3〜4万円の時代。
日本でも行った(行けた)人は少ない伝説のライヴ。
PAも不安定、トイレなども整備されていない中、
人が人を呼び、50万人もの人を集めた。
最終的には人が集まりすぎて柵が壊れてフリーコンサートに・・・。
この伝説のライヴが映画になって、日本でも公開された。
1回目の上映は並んでやっと入れるほどだったそうです。
♪セレクト曲
Jimi Hendrix「Star Spangled Banner〜Purple Haze」
投稿者 : mins|2017年4月2日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“プロデューサー列伝”です。
第8章:ジョージ・マーティン③
ビートルズを見出して、ジェフ・ベックの方向性を決めたプロデューサー。
素材としての曲を調べ上げて、
アーティストと、ともに、その中に入り込んで行くような制作をしてきた。
ビートルズのことを彼は「宝だ」と公言していたが、
それは2枚目以降のことだった。
普通のアーティストとプロデューサーやエンジニアの関係は、
1つの作品のレコーディングが終わると、
打ち上げをやってそこで関係が終わることが多いが、
ポール・マッカートニーとジョン・レノンは、
翌日以降も同じように曲をつくっては、ジョージ・マーティンに意見を求めた。
彼が“忙しいから”と断っても、
2人がそれをやめることはなかったそうで、
そういう彼らの部分を「宝」だと評したそうです。
投稿者 : mins|2017年3月19日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“プロデューサー列伝”です。
第8章:ジョージ・マーティン②
彼はビートルズのプロデュースをしながら、様々なことをやっていた。
例えば1964年に初めてビートルズがアメリカに行った。
彼らはボブ・ディランやエルビス・プレスリーらに会っていたが、
ジョージは大手のスタジオを回って機材をチェックして、
いくらかの機材を買ってビートルズのスタジオに流用しようと考えた。
(当時のアメリカの録音機材は最先端だった)
またレコーディングに関してはビートルズは音がいいと言われていて、
初期のローリングストーンズと比べても録音がいいと評判がいい。
それは彼がエンジニアを大切にしていてレコーディングにも力を入れていた。
ビートルズを手がけた後も多くの仕事があったのだが
その中でも彼が手がけ、アーティストの今まで続いている方向性を生み出した作品が、
ジェフ・ベックの「ブロウ・バイ・ブロウ」(1975)だ。
これまでジェフはエリック・クラプトンやジミー・ペイジ(レッド・ツェッペリン)に比べて、
名前は知られていて腕はしっかりしているが、方向性がはっきりしなかった。
彼はジェフのテクニックを受け止められるのは単なるロックだけではなく、
ジャズなのではないかと考えたのか、
今で言う“フュージョン”のようなジャズのミュージシャンをバックにジェフにギターを弾かせる。
当時フュージョンやクロスオーバーという言葉がなかった時代に、
その演奏スタイルをジェフにやらせて、ジェフを成功に導いたと同時に、
ジャズとフュージョンはしているが根底はしっかりとロックという新しいスタイルを生んだ。
彼は、そう只者ではない。
投稿者 : mins|2017年3月12日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“プロデューサー列伝”です。
第8章:ジョージ・マーティン①
ジョージ・マーティン。
1926年1月3日生−2016年3月8日死去(享年90歳)
ジョージ・マーティンといえば?と聞かれ、すぐに浮かぶ答えは、やはりザ・ビートルズだろう。
もともとはピアノをやっていたがピアノの先生との折が合わず、独学で始めるようになる。
その後音楽と演劇の学校に入りEMIというレコード会社の傘下であった
“パーロフォン”というレーベルに入り、
スキッフルミュージック(洗濯板などを用い演奏された音楽でロックン・ロールの前身)や、
コメディのレコードなどをプロデュースしていた。
後の1962年。どこのレーベルにも自分たちのテープを聞いてもらえなかった
若きザ・ビートルズの音楽を唯一聞き、
その溢れ出る可能性を感じたジョージは彼らをプロデュースすることを決意する。
初期の楽曲のピアノはジョージが弾いていた他に、
ビートルズは曲を作ることができてもアレンジができなかったため、アレンジャーとして活躍し、
初期の彼らにとっては5人目のメンバーといっても過言ではないと言えるだろう。
投稿者 : mins|2017年3月6日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“プロデューサー列伝”です。
第7章:トム・ダウド③
音楽の3分の1はエンジニア
3分の1はプロデューサー
3分の1はミュージシャン
このように分けると音楽はうまくできるが、
トムはこれまでに紹介したように
録音機や調整卓など機材の開発やエンジニアリングだけでなく
南部の香りがするサザンロックを生み出すなど、
楽曲のプロデュースもできる男だった。
そこで、今日かけるロッド・スチュワートは、
イギリスでスーパースターになり、その後に渡米。
アメリカのミュージシャンと共演し、
アメリカ音楽にある南部の要素を取り入れたい。
アメリカらしいサウンドの要素が欲しいと、プロデュースをトムに依頼し、
後に名作と言われる「アトランティック・クロッシング」という名のアルバムを生み出す。
このようにトムは、
ロッド・スチュワートやDerek And The Dominos、The Allman Brothers Bandなど
様々なアーティストの名曲と言える曲、
名作と言われるアルバムを世に生み出し続けてきた。
その秀逸なプロデュースはもう受けられなくなってしまったが
彼の偉大な功績、彼にしか生み出せないサウンドを聞いて
皆の記憶にとどめておいてほしい。
投稿者 : mins|2017年2月26日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“プロデューサー列伝”です。
第7章:トム・ダウド②
コロンビア大学で物理学を学んで、アトランティック・レコードに入社した彼は
ハードなどの機材の分野が秀逸だった。
そのためエンジニアとして、多重録音や初期のステレオ録音を開発。
様々なエキップメントを作っていった。
そんな機材の新しい未来を作り上げるとともに、音楽面では
Derek And The DominosやThe Allman Brothers Bandのような
アメリカ南部の所謂“サザンロック”のような音を完成させた。
その結果に導いたのは、
アレサ・フランクリンやレイ・チャールズ、ルース・ブラウンらを手掛けて得た、
ブラック・ミュージックのフィーリング
スタックス・レコードで得た、
南部の音楽の味
これらの音楽性を60年代末~70年代に出てきた、
初期サザンロックの新しい方向性を示す。
前例なき音楽を作り上げた彼のスタイルは後世代に絶大な影響を与え、
後にイギリスのプライマル・スクリームがトムにプロデュースを依頼するなど
実力ともに“名プロデューサー”となっていく。
投稿者 : mins|2017年2月19日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー「Roots Of Masters」。
現在のテーマは“プロデューサー列伝”です。
第7章:トム・ダウド
1925年NY生まれ(2002年死去・享年77)。
父がクラシックのコンサートマスター、母がオペラ歌手という
音楽一家の元に生まれた彼はコロンビア大学で物理学を学び、18歳で軍隊に徴兵。
除隊後の40年代にはアメリカの大手レコード会社“アトランティック・レコード”に入社。
エンジニアとして入社し、レイ・チャールズやルース・ブラウン、チャールズ・ミンガス、
ジョン・コルトレーン、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)などのアーティストをプロデュースし、
知名度を上げる。
60年代にはアトランティック・レコードの傘下であったスタックス・レコードに乗り込み、
オーティス・レディングの「オーティス・ブルー」や
“ソウル”という単語を生み出したアレサ・フランクリンの「アレサ・ナウ」などの
名盤をプロデュースするだけでなく、イギリスのクリームのエンジニアリングも手掛け、
さらに名を広めることになる。
今回OAでかけた、Derek And The Dominosの「Layla(いとしのレイラ」は
トムが70年代にミックスダウンを手掛けたヒット曲。
楽曲の後半にバンドの長い演奏が続くパートがあり、
この部分を残したのは、トム自身の先見の明だと言える
(シングルヴァージョンでは楽曲後半の演奏部分はカットされている)。
投稿者 : mins|2017年2月12日