カテゴリー:Roots of Masters
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、そして未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー
「Roots Of Masters」
第3章は、トミー・リピューマに迫ります。
「ジャズからポップスいろんな物ができるプロデューサーで今年80歳でまだ現役なんです。
元々は1960年代にA&Mレコードというところに所属していて、
1970年に自分のレーベルブルーサムを作って、そしてワーナーブラザーズに移って
この人は常にどこかに所属していたんですけど、A&Mレコードの時代からこの人が作る音は
とにかく美しい、端正であるっという事とオーディオ的にいい音っていうのは非常に難しくて
一般的にオーディオファンが良いという音は分離が良くて、
定位が良くて一つ一つの楽器の音がバランスが取れていて立ってるそれが美しい音だよね。
あるいは整理整頓された端正な音が良い、そういう意味でこれまでやってきた
フィル・スペクターとかブレンダン・オブライエンはオーディオ的に良い音ではない
ロックオーディオ的には良い音だと。
このトミー・リピューマの作品はどちらかというと特に70年代以降は
オーディオマニアが好きな音で必ずと言って良いほど組んでるのが
アル・シュミットっていう名エンジニアで今現役で生きているエンジニアの中で5本の指に入る
アル・シュミットと若い時から組んでやっててクラウス・オガーマンという
ストリングスアレンジの巨匠とかニック・デカロという巨匠がいるんですけど
そういったような人たちと常に仕事をするっというスタイルです。」
<オンエア曲>
Claudine Longet / Wonderlove
投稿者 : mins|2016年11月13日
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「Roots Of Masters」
第2章は、 ブレンダン・オブライエンに迫ります。
今回が最終回です。
「前に言いましたけどこの人はエンジニアもできるわけですけども、
エンジニアの手法として面白いのが普通録音っていうのは色々な考え方があるんですけど、
適正なボーカルマイクの位置で、適正なギターアンプからの音の広い方で綺麗な音っていうか
カチッとした音を録る、それはできると思う。それをこの人はミックスダウンの時に
かなり汚すコンペだったら指でこすってぼかしを入れるような技術が
ものすごい優れているんじゃないかな。90年代に登場したプロデューサーの中で
最も重要な一人で今後もまだ50代半ばと若いのでいろんな分野で活躍していくし
ブルース・スプリングスティーンを手がけたあたりから渋い仕事も
増やしていくようになるんじゃないかなと思います。」
<オンエア曲>
<オンエア曲>
Pearl Jam / Glorified G
投稿者 : mins|2016年11月6日
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「Roots Of Masters」
第2章は、 ブレンダン・オブライエンに迫ります。
「彼はリック・ルービンという大プロデューサーの弟子的な存在でそれでエンジニアを
やりながらプロデューシングなんかを習ってたのね、そこで入ってきた仕事が
Red Hot Chili Peppersがちょうど人気が上昇中で彼らの代表作、
特に初期の代表作になった、”ブラッド・シュガー・セックス・マジック”に
プロデュースエンジニアやらないかって話が来たの、
それがものすごい大ヒットしたんですよ。
それによってブレンダン・オブライエンには誰もが知ってるような人から仕事が
殺到するようになった、そういうところもアメリカンドリームみたいなところで
ただしそのためにはバジェットをちゃんと管理ができてそれにいいものを
作れる能力ないとダメだってことにもなるんですよ。」
<オンエア曲>
Red Hot Chili Peppers / The Greeting Song
投稿者 : mins|2016年10月23日
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「Roots Of Masters」
第2章は、 ブレンダン・オブライエンに迫ります。
「元々はアトランタ出身で14歳でブランクスというバンドを作ってギターをやると
大体10代の半ばでバンドやってないと浮上するのは難しいなっていうくらいに
10代の半ばでバンドやってる人が多いんだけど、
ブレンダン・オブライエンも14歳でブランクスのギターを始めて10代の終わりには
地元ではそれなりの人気になるサムライ・キャット・フィッシュというバンドをやって
その後にジョージア・サテライツというアメリカではすごい人気のあったバンドの
短期間だけどベースをやって、外国特にイギリスとアメリカで多いのが
ミュージシャンでやったけどある程度テクニックとかキャリアの限界を感じて
スタッフに回るって人が多いんだけど、ブレンダン・オブライエンもエンジニアリングと
プロデュースの勉強をものすごいして20代の終わりくらい30歳になる頃に
ブラック・クローズというのちにアメリカではメガヒット出すバンドがいるんですけど
シェイク・ユア・マネー・メイカー全米で200万枚から300万枚売れたアルバムがあるんですけど
それのエンジニアとギターとベースで参加したと、これがブレンダン・オブライエンが
エンジニアとしてすごいんじゃないかと、そのきっかけになったのがブラック・クローズなんです。」
<オンエア曲>
The Black Crowes / Sister Luck
投稿者 : mins|2016年10月16日
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「Roots Of Masters」
第1章は、 フィル・スペクターに迫ります。
「フィル・スペクターがどんな人に影響を与えたのかと言うと、
日本では大瀧詠一さん、山下達郎、
特に大瀧さんはフィル・スペクターにものすごい影響を受けていると思うんですけど。
それからブルース・スプリングスティーンにもかなり影響を与えていて
ブルース・スプリングスティーンの『Born To Run』っていうのは
現代のウォール・オブ・サウンドみたいなことをやって、1枚目2枚目は売れなかったんだけど
3枚目でブレイクできたのはフィル・スペクターの音を意識して音をきちっとまとめてきた
っていうのがあるんじゃないかなと思います。
ただフィル・スペクターっていうのはプロデューサーとしてかなり特異な位置で
普通プロデューサーっていうのはミュージシャンが前に出て影で支える
だけどフィル・スペクターは前に出ちゃうみたいなね、
自分自身がアーティストみたいな存在だっていうのがフィル・スペクターの特徴だっと思う
70年代以降っていうのは酒の問題とかいろんな問題があって低迷して
ビートルズの『Let It Be』をやったけど、『Let It Be』がラストアルバムだけど
ビートルズの本当のラストレコーディングアルバムは『Abbey Road』でそれは
フィル・スペクターを起用したわけじゃないっていう、
ジョン・レノンがフィル・スペクター好きでジョン・レノンの『Rock N Roll』って
アルバムをやってるんだけど、このアルバムをやってる途中にフィル・スペクターは
投げ出してやめちゃったんだよね、だから全部の曲をやったわけじゃなくて
かなり風変わりな人なんだよね、だからフィル・スペクターがやった曲だけ
何曲かはフィル・スペクタープロデュースってクレジットされてて、ジョン・レノンが
それを引き取って最終的にアルバムを完成させて、
ジョン・レノン自身は生前自分の作ったアルバムの中では1番好きなのは
このアルバムだって言っていたんですけど、
フィル・スペクター彼もすごいけどエンジニアのラリー・レヴィンって人がいたんですけど
その人もすごいっかったっていうのと、自分が揃えたミュージシャンが
例えばジャック・ニッチェであったりグレン・キャンベルであったり
そういうミュージシャンを育てるっていうかバックに使ってたんだよね
そういう人を見つけてくるのもフィル・スペクターの才能だったのかなと思います。」
<オンエア曲>
Sweet Little Sixteen(1975) / John Lennon
投稿者 : mins|2016年10月9日
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「Roots Of Masters」
第1章は、 フィル・スペクターに迫ります。
「先週は17歳の時にテディベアーズを結成してディビュー曲が全米No.1になった
早熟の天才だったって話をしました。翌年にはグループを解散して解散した後、
レスター・シルとリー・ヘイゼルウッドの下でデュアン・エディっていう有名なミュージシャンが
いるんですけど、そのセッションをしたり、20歳の時にニューヨーク戻ってリーバー&ストーラーの助手
になって、助手をやりながらすごいなって思ったのは20歳代の初めにレイ・ピーターソンとか
パリス・シスターズとかアトランティック・レコードのいろんなアーティストにアルバイトで
プロディースをして既にスマッシュヒットを出していたと、1961年21歳の年にレスター・シルと一緒に
フィレス・レコードというレーベルを設立したんですね、これがウォール・オブ・サウンドの原点に
なるんだけども、キャッチコピーが「Tomorrow’s Sound Today」っていうのがそのキャッチフレーズ
だったんだけど合計12枚のLPと39枚のシングルをリリースして1966年に会社を閉じたんだけども
それまでに全米TOP40に17曲、だから2曲に1曲はヒットしてたってことね、
その内3曲は全米No.1になったというフィル・スペクターなんですけど。
先週話し残した中でウォール・オブ・サウンドって話をしました。
それは60年代のフィル・スペクターを特に指す音なんだけど、当時の録音っていうのは今みたいに
シンクロができるとかコンピューターで同期がとれるわけじゃなかったんです。
トラックAがあるとするとトラックAに全部音を入れるわけです。
それをトラックBにピンポン録音するんです。
トラックBのピンポン録音されたやつをトラックAに戻すんです。
トラックAに戻した音をまたトラックBに戻すんです。
そのBとAの繰り返しを多い時は2000回以上やると、それを耳でやるんです、
だからカスタネットの音とかリズムが強調させたのがキーになってるんですけど耳でやるから
当然ずれるんだよね、人間の耳っていうのは僕があったミュージシャンの中では山下達郎がすごくて
100分の1秒のリズムのズレはわかる山下達郎でも100分の1以上のものはわからないだから当然ズレてくる
その微妙なズレが音の壁になるんだよねそれをウォール・オブ・サウンドと呼んでいたということなんですけど、
60年代はそういう活躍をしてものすごいプロデューサーだったんですけど。
70年代以降、60年代終わりくらいからビートルズの「Let it be」をプロデュースしたりとか違う方向に行くんですけど。
それはウォール・オブ・サウンドらしきものを出してはいるけどフィレス・レコード時代の大成功に
なったかはわからないなと思います。でもこのレナード・コーエンのMemoriesという曲はアルバムで
「ある女たらしの死」というアルバムなんだけどこれなんかはバックのサウンドに
今さっき言ったウォール・オブ・サウンドの名残があるそういう曲だと思います。
フィル・スペクターとしてはかなり後期のプロデュースになります。」
<オンエア曲>
Memories (1977) / Leonard Cohen
投稿者 : mins|2016年10月2日
伝説のミュージシャンから最新のアーティストまで、
過去から今、そして未来へとつながる音楽のルーツを紹介するコーナー
「Roots Of Masters」
今週からは、音楽界に名を馳せる、名プロデューサーたちの
珠玉の作品をご紹介していく新シリーズ「プロデューサー列伝」!
第1章は、 フィル・スペクターに迫ります。
「フィル・スペクターは1940年にニューヨークのブロンクスで生まれた現在76歳、
13歳でロサンジェルスに移住して17歳で早くもテディーベアーズを結成して
デビュー曲を全米No.1にした、それくらいすごい人なんですけど、
こういうサウンドをウォールオブサウンド音楽の壁、
音の壁っていうのは例えば The Ronettesはこもった感じがしてバックのボーカルが
ものすごくはっきり出て後ろに音の壁があるみたいなそういうような作りになっています。」
<オンエア曲>
Be My Baby (1963) / The Ronettes
You’ve Lost That Lovin’ Feeling (1965) / The Righteous Brothers
投稿者 : mins|2016年9月25日