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2016年3月21日

#50 3月18日放送分

今回のテーマは、

「縄文時代のことを想像してみよう!」でした!

 

“縄文時代”というと、歴史の授業で習ったことはあるけど

けっこう覚えているかどうか、怪しいという人もいるのではないでしょうか?

 

小島さんは、縄文時代の土器や矢じりを所有していたことがあるそうです。

なんと、犬が埋まっている場所を教えてくれるという、花咲かじいさんのような

体験をしていました。

 

衛藤さんは、通っていた学校が校舎の建て替えのとき、

その場所から土器が発見されたそうです。

 

縄文時代は、一時期、ゆとり教育の影響で、小学6年生の教科書から消えていたなんて

こともあったようです。

 

ということで今回は、

「もし縄文時代に生まれたら何をしたいですか?

遺跡や貝塚に行ったことはありますか?縄文時代について知っていることはありますか?」

という質問をリスナーに投げかけ、

今から、およそ1万2000年前の縄文時代、また私たちの先祖である縄文人について

座談会していきました!

 

千葉は貝塚天国だった!?

“遺跡”とは、“人類の痕跡”を残すもので、具体的には、“土器”“住居”“古墳”などがあります。

 

一方、“貝塚”というのは、大昔の人々が食べたものなどを捨てていた“ゴミ捨て場”で、

捨てられた“貝殻”が積み重なって出来上がりました。

 

日本全国で、縄文時代の貝塚はおよそ“2700ヵ所”と言われ、

そのうちおよそ“120ヵ所”が、“千葉市内”に集中しています。

 

中でも“加曽利貝塚”は、直径130メートルで“ドーナツ型”をした縄文時代中期の“北貝塚”と、

長径170メートルで“馬の蹄の形”をした後期の“南貝塚”が連結して“8の字形”になった、

“日本最大級”の貝塚です。

 

“1万年以上”も続いた縄文時代というのは、草創期から晩期まで、

“6つの時期”に区分されています。

 

さらに、縄文時代の遺跡は“北海道”から“沖縄”まで、日本全国で見つかっており

“時期”“地域”“場所”によって、人々の暮らしは異なります。

 

ですから今でも、いろいろなモノが発掘されたり、新しい事実が発見されています。

(以上、千葉市HP 参照)

 

縄文時代というと、ファンの多い戦国時代とか明治維新と比べると

ちょっとマイナーかなというイメージもありますが、実はスケールも大きく、

また、わたしたちの知らない事実がまだまだ潜んでいます。

 

縄文時代とは?     

縄文時代とは、今からおよそ“1万2000年前”から“2000年前”

およそ“1万年間”、日本に栄えた文化です。

 

1877年(明治10年)に、アメリカ人の“エドワード・モース”が、東京都“大森”“貝塚”を発掘し、

そこから出土した“土器”“縄目模様”だったことから

“縄文式土器”と名付けられました。

 

縄文時代という名称はここからきています。

 

土器が発明されたことで、食べ物を“調理”したり、“保存”することが可能になって

食材も豊富になっていきます。

 

また縄文時代になると、“気候”が暖かくなり、人々は“定住生活”を行うようになって

自然と“村”が作られていきました。

 

縄文人が住んでいたのは、地面に穴を掘って、数本の柱を立て、

屋根で覆った、“竪穴式住居”

家の中には、火を焚く“炉”がありました。

(以上、北海道道庁HP JOUMON KIDS 参照)

 

竪穴住居を作った中学生がいた!?

2009年、山梨県韮崎市の河西征吾くん(当時14歳)は

夏休みの自由研究で縄文人の生活ぶりを調べようと、

自宅の庭に竪穴住居を作り、そこで、2ヵ月間暮らしたそうです。

 

河西くんは家族に協力してもらい、自宅にあった竹やワラなどで

高さおよそ3メートル、広さおよそ10平方メートルの竪穴住居を手作りしました。

ちなみに作り方は、博物館の職員に聞いたり、インターネットで調べたそうです。

(以上、2009年1月25日 山梨日日新聞 参照)

 

縄文人は頭が良かった!?

“縄文人”というと、ボサボサの頭で、裸に布を一枚まとい、狩りに行くというような

少し野蛮なイメージがある方もいるかもしれませんが、

土器や竪穴住居から分かるように、非常に頭脳明晰だったようです。

 

例えば、青森県にある“三内丸山遺跡”では、

35㎝を単位とする物差し、“縄文尺”が使われていたことが分かっています。

 

同遺跡のシンボルでもある建物に使われている“六角柱”

その“柱穴”の間隔は“4.2m”で、きっちり縄文尺の“35㎝”で割り切れる数字です。

 

また他の縄文遺跡でも、柱の間の長さが、例えば“140㎝”“175㎝”“245㎝”

“35の倍数”となっている大型住居が、しばしば発見されています。

(以上、2010年8月4日 日経ビジネス 参照)

 

狩りの道具は?

縄文時代より前の“旧石器時代”は、“ナウマン象”“オオツノジカ”など

“大型の動物”“投げ槍”や、“突き槍”で狩猟していたのに対し、

“縄文人”は、“イノシシ”“ニホンジカ”など、動きの素早い“中型動物”を狩猟するために

“弓矢”を使っていました。

 

また、“石器”“動物の骨”“角”“牙”などを加工して作った“骨格器”

“漁労”も行っています。

 

獲った“木の実”を砕いたり、“すり潰す”道具として

“石皿”“磨製石器”も使用されていました。

(以上、Withdom 1月5日 参照)

 

≪ゲストコーナー≫

グラフィックデザイナーで、フリーペーパー『縄文ZINE(じょうもんじん)』編集長

望月昭秀さんをお迎えして「縄文時代」についてお話を伺いました。

 

なぜ『縄文ZINE』を作ったのか?

元々、歴史が好きだった望月さんは、興味がどんどん遡っていき、

縄文時代に行き着いたそうです。

 

しかし、縄文時代のことを話せる友だちは、1人でした。

 

そこで、1冊丸ごと縄文時代のフリーペーパーを「縄文ZINE」を創刊しました。

「ポパイ」や「ブルータス」をイメージし、若者を意識して編集しましたが、

蓋を開けてみると反響は大きく、小学生や高齢者の方からハガキを貰ったそうです。

 

問い合わせや連絡が来るようになり、自然と“縄文ネットワーク”が広がりました。

 

創刊号は、増刷されています。

 

内容はどうなっているの?

何しろ、1万年以上も続いた時代なので、ネタの宝庫だそうです。

 

分かっていないことも多く、仮設を立てて、想像するのも魅力です。

 

縄文ZINEには、“都会の縄文人”というコーナーがあり、街にいる女性に

土偶と同じポーズをしてもらったり(読モならぬ“ドグモ”)、

素朴な疑問に答える“縄弱のための質疑応答”

“縄文人のおすすめ映画”、“マンガ”などなど、盛りだくさんの内容です!

 

なぜ長く続いたのか?

小競り合いはありましたが、“富”が集積されていなかったので、

縄文時代には、大きな争いがなかったそうです。

 

“平和”だったということが、長く時代が続いた要因とも考えられます。

 

“物々交換”という習慣も、良くできたシステムでした。

 

土器の模様は集団の旗!

燃えさかるような炎のような“火炎土器”

 あの独特な模様は、集団の“アイデンティティ”であり、いわば“旗”でした。

 

“自分たちはこういうデザインでいこう!”ということを決めていくことが

仲間同士の“団結力”に繋がっていたそうです。

 

土偶は必ず壊されていた!?

土偶は、“デザイン”で、どの“時代”の、どの“地方”かが分かるだけでなく、

どこの“影響”を受けたかも分かるそうです。

 

実際に、何に使われていたかは分からないそうですが、

いいデザインは、他にマネされています。

 

また、土偶は必ず壊されています。

現在、目にすることができる土偶は復元されたものです。

 

発見される全ての土偶が壊されているというのは

何かの“儀式”に使われていたのではないかと、望月さんは推測しています。

 

最大級・加曽利貝塚!

縄文ZINE3号で取り上げる“加曽利貝塚”を最近取材されたそうです。

 

貝塚とは、ゴミ捨て場と思っている人もいるかもしれませんが

実は“土器”が置いてあったり、その上に“住居”があったこともあったそうです。

 

そもそも、その時代に“ゴミ”という概念があったかどうかも謎です。

 

出汁を取っていた!?

加曽利貝塚では、“イボキサゴ”という“巻貝”が大量に発掘されていますが、

小さな貝なので、ほじくって食べる感じではなく、もしかすると“出汁”として

使っていたのではないかとも、考えられています。

 

和食の出汁文化は、4500年前にすでにあったのでしょうか?

 

千葉に貝塚が多いのはなぜ?

“海岸線”が多く、また日本の中央あたりに位置するのも関係しているそうです。

 

そして“酸性の土壌”というのは、“骨”が溶けてしまいますが、

“貝”があると土壌が“アルカリ性”になって、溶けずに残るそうです。

 

縄文人はどんな暮らしをしていたか?

“言葉”をしゃべっていたそうです。

 

ただ、“文字”がなかったので、何事も覚えるしかなく、

おそらく現代人よりも“記憶力”は良かったのではないかと推測されます。

 

“果実”などから、“お酒”が作られていたのではないとも言われています。

 

“アイヌ文化”“ユーカラ”のように、昔のことを伝承するために

“歌”もあったと想像できるそうです。

 

“節回し”をつけたほうが、感情が伝わりやすいため、

それが歌となったようです。

 

“楽器”も出土していることから、歌の他にも“踊り”もあったかもしれません。

 

縄文時代から何を学べるか?

縄文人になりきって今の時代を見ると、改めて便利な世の中であると

“ありがたみ”を感じることができます。

 

縄文時代は、資料や遺跡で“類推”はできるが“確認”はできない。

“ヒント”は豊富にあるけど、“結末”のない“ミステリー小説”を読むのに似ている。

 

答えが分かっているとお勉強になってしまうが、

分からないので、意識せずに楽しむことができます。

 

狩猟という“衝動的”な行動に現れる“縄文マインド”は、

わたしたち人間はみんなが持っています。

 

“計画”より“衝動”で動く。

それは、多少使いづらくても、自分が好きなら試してみてもいいのではないかと

思える動機づけにもなるでしょう。

 

≪今週の金のつぶやき≫

思わず縄文時間が流れる空間にいるかのような、落ち着いたトーンで縄文の魅力を

丁寧に話してくださった、望月さん。

 

何でも正解がすぐに分かってしまう現代にあって、頭の中で想像を巡らせる大切さ、楽しさを

教えて頂きました。

 

望月さんの想像力が結集された“縄文ZINE”は、全国の本屋さん、博物館など

230ヵ所に配布されているので、是非手に取って、縄文ワールドを堪能してください!

 

詳しくは、http://jomonzine.com/まで。

 

流行に敏感なのもいいですが、たまには太古に想いを馳せ、

ゆっくり想像力を養うときがあってもいいのではないでしょうか?

 

あなたはどう感じましたか?

投稿者 : kintubu|2016年3月21日