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2017年12月25日

#142 12月22日放送分 放送作家

今回のテーマは、

「あなたの業界の意外な話」でした!

 

乃木坂ウラ話!

自分たちが仕事で普通に使っている言葉や習慣が、他業種や他の人たちには

知られていないことってたくさんあるかと思います。

 

あなたが日頃仕事をしている、あるいは所属している業界で、

意外と世間では知られていないことってあるでしょうか?

 

山崎さんが所属している乃木坂46では、歌を歌うときの衣装が

その曲を歌う人数分しかないため、代役で入ったメンバーは

例えサイズが合わなくても、その衣装を着なければならないそうです。

 

山崎さんは腕が長いため、いつも衣装がツンツルテン状態で歌っているそうです。

 

ということで今回は「あなたの業界の意外な話を聞かせてください!」という質問を

リスナーに投げかけ、座談会を行いました。

 

≪ゲストコーナー≫

放送作家村上卓史さんをお迎えして、「放送作家の仕事」について

お話を伺いました。

 

村上さんは、「炎の体育会TV」や「学校へ行こう」「みんなのKEIBA」

「ジャンクSPORTS」など、主にスポーツやバラエティ番組を多数担当しています。

 

きっかけはテレビの企画

高田文夫さんや景山民夫さんといった人たちの存在で、

ほんの少し放送作家という仕事があることは知っていたそうです。

 

でも、どうすれば放送作家になれるかは分からなかったそうです。

 

そんな中、『天才たけしの元気が出るテレビ』という番組で、

“放送作家予備校”というコーナーがあることを知り、応募します。

 

そのとき、村上さんは大学生でした。

 

もちろん放送作家という仕事に興味があったそうですが、

学生の軽いノリという気持ちで応募したそうです。

 

その後、書類審査に合格し、当時番組の演出を担当していた

テリー伊藤さんと面接をしました。

 

面接では、各自があらかじめ考えた企画について評価を受けたそうです。

 

そのとき村上さんが考えたのは、“高田純次さんで斬られるリアクションショーをやる”

という企画でした。

 

当時、村上さんはテリーさんがどういう人なのか知らずに

面接に臨んだそうです。

 

そのため、あまり緊張はしませんでした。

 

逆に、テリーさんのことをよく知っている人たちは、

大演出家とのやり取りということでプレッシャーに負けていたそうです。

 

そうして、書類選考で選ばれた100名が最終的に15名になり、

村上さんは見事合格しました。

 

晴れて合格者15名が集まりますが、「1年後には半分になるよ」と言われ、

実際に1年を待たずして、その通りになったそうです。

 

放送作家生活スタート!

村上さんたち合格者は、テリー伊藤さんのもとで放送作家生活をスタートさせます。

 

テリーさんが演出していた「天才たけしの元気が出るテレビ」と、

とんねるずが司会をしていた「ねるとん紅鯨団」のアシスタント作家に振り分けられました。

 

当時、「元気が出るテレビ」では、火曜が定例会議。

そこで内容が決まらないと、水曜も再び会議。

 

2日間の会議で、1人10ネタは考えて持っていかなければならなかったそうです。

 

それが毎週ありました。

 

テリーさんは、みんなが考えてきたネタを高速でチェックし、

気にいったネタのときだけ手を止めて、じっくり見てくれるそうです。

 

村上さんは、その止まったネタが「自分のであってくれ!」と

ルーレットを見るような思いで願っていたそうです。

 

結果、そうした経験によって鍛えられたそうです。

 

周囲の人の反応は?

村上さんは当時大学生でしたが、ほぼ1週間仕事漬けの日々。

 

火曜が会議、水曜が予備会議。

木曜から金曜は分科会や台本作り。

週末はロケに行きます。

 

そして週明けの月曜の朝にナレーション録りを行い、

その日にスタジオ収録というスケジュールでした。

 

早朝に出かけ、深夜に帰宅するという毎日。

家族から「何をやっているの?」と言われたこともあったそうです。

 

番組のエンドロールに名前がのったときになって初めて

ご両親が「ちゃんとやっているね」と言ってくれたそうです。

 

テレビ業界の洗礼!?

テレビ業界に入ってまず時間感覚が特殊なことに驚いたそうです。

 

例えば、「26時終了って何?」と思ったそうです。

 

また、師匠であるテリーさんとサウナに行って、3つ面白いダジャレを言ったら、

サウナから出られるということもさせられ、これは業界の洗礼なのではと

思ったこともありました。

 

放送作家の仕事

企画、台本の作成、ネタ出し、ナレーション書き、

プレビュー、テロップ考案などを行います。

 

守備範囲が広い仕事ですが、その中で得意分野に特化する場合もあります。

村上さんですと、スポーツバラエティというジャンルがそれに当たります。

 

もちろん得意なジャンル以外の仕事も喜んで引き受けます。

 

村上さんは、ほとんど音楽番組は担当していませんが、

ディレクターから「バラエティ要素が欲しい」というオファーを受け、

『日本有線大賞』という番組のチーフ作家をしています。

 

休みはあるの?

休日であっても、新しい企画を考えたりするのでお休みはありません。

 

ただ若いときからそうした働き方をしているので、

毎日働いていることに疑問を感じることはないそうです。

 

企画が思い浮かばないときは?

本屋に行って、平積みされている本の中からヒントを見つけることがあるそうです。

 

また、ディレクターなど人と会って雑談をすることで、

考えがまとまるときもあります。

 

テレビはアウトプットが多い仕事です。

 

とはいえ他の番組を見てインプットすると、同じ内容になってしまいます。

 

どうインプットするかは、それぞれの作家によって違います。

 

スポーツバラエティの誕生

村上さんは、学生時代から野球、格闘技、競馬が好きでした。

 

この世界に入った頃は、スポーツバラエティというと、

「プロ野球珍プレー&好プレー」くらいだったそうです。

 

村上さんは、スポーツ選手がオフのときに

面白いことを言うことに気付き、それを番組にすることはできないかと考えたそうです。

 

そこから、格闘技の情報番組や“ジャンクスポーツ”、“炎の体育会TV”などが

カタチになっていきました。

 

今でこそ、スポーツ選手にキャッチフレーズが付くのは当たり前ですが、

最初は神聖なスポーツのイベントで「そういうのはちょっと」という反応もあったそうです。

 

企画を通すには?

自分がやりたい企画を頑固に出し続けることが大事です。

 

時代におもねると、それは得意な人が必ずいます。

 

また、それを企てときはすでに旬が過ぎています。

 

合わせると大体うまくいかないことが多いそうです。

 

放送作家への道

即戦力が求められるので、すぐに作家デビューというのは難しいそうです。

 

番組のAD(アシスタントディレクター)は人手不足ということもあって需要もあるし、

また多くのことを勉強することができます。

 

勉強しながらお金がもらえると割り切って、まずADになるのがいいそうです。

 

AD業務というとキツイというイメージがありますが、

最近は働き方改革ということもあって、朝まで労働するなんてことも

なくなってきてますし、休日もあるそうです。

 

そのため、今は女性のADも多いそうです。

 

ある程度の経験を積めば、放送作家は何歳からでもできます。

 

40歳くらいでディレクターから転身する人もいます。

 

1つを究める!

放送作家を目指す人は、好きなことを徹底的に究めて、

その分野のエキスパートになるといいそうです。

 

一見、広く浅くはテレビ業界向けに見えますが、

実はそうでもないそうです。

 

1つを究めることで、他も究めやすくもなります。

現在、視聴者や聴取者は”知識欲”を満たしてくれる番組を期待しているそうです。

ですから何かを究めたほうが、仕事はしやすいのです。

 

究める時間がないという人は、その道の専門家と懇意になって話を聞き、

いいところだけ自分のモノにしていくというやり方もあります。

 

ただ、そうしてもらうには自分もそれなりの立場がなければなりません。

 

やりがいを感じるときは?

一番楽しいのは、最初4~5行程度だった自分の考えた企画案が、

企画書になって、番組化され、オンエアされることだそうです。

 

わずか数行だったものが、世の中に広まることに感動があるそうです。

 

シンドイときや大失敗は?

企画を出しても出しても通らなかったときは、才能がないのかと思ったり、

選ばれた企画のほうが良かったのかなと落ち込むことがあるそうです。

 

テレビ制作は最終的には団体芸なので、個人が大きく失敗することはないそうです。

 

ただ個人的には、時間の管理がうまくいかないということはあるそうです。

 

ダブルブッキングや、会議室を間違えるなどということもあります。

 

テレビ業界が変わったところは?

コンプライアンスが非常に厳しくなり、できなくなっていることが増えています。

 

ただルールという枠の中で、いかにどうするかを考えることは、

逆にそのギリギリを歩くこともできます。

 

誰もがダメだと思うようなことをギリギリで見せる醍醐味もあります。

 

昔、台本は手書きでした。

 

パソコンの普及により、どこでも仕事をすることができます。

 

ハワイロケのとき、ネタをFAXで送らねばならず、送ったところ

用紙にハワイのホテル名が記載されて、「アイツ、ハワイで遊んでいるのかよ!」と

言われるなんてこともあったそうです。

 

しかも当時FAX1枚が1000円もしたそうです。

 

ディレクターの場合は、以前は編集所に詰めて、編集作業を行っていました。

 

今はパソコンで編集ができます。

 

お金も時間も圧縮することができます。

 

すぐに食べていける?

色々なモノを調べるリサーチの仕事からスタートすると

食べることができるそうです。

 

今はお金を払いながら人材を育てていく環境があまりないため、

いきなり構成作家として食べていくのは難しいそうです。

 

放送作家事務所と契約をすれば食べていくことができますが、

なかなか最初から食べていくことは大変です。

 

村上さんも最初は半年無給で働いていたそうです。

 

≪今週の金のつぶやき≫

世間から見ると謎の職業である“放送作家”。

 

村上さんのお話で、どんな仕事をしているかお分かり頂けたでしょうか?

 

放送作家になりたい!テレビの仕事がしたい!という方はもちろん、

テレビ界に興味のある方、またアイディアの発想の仕方などを知りたい方は

是非、村上卓史さんの著書『放送作家という生き方』(イースト新書)をご覧ください!

 

さて、かつてあるローカル番組を担当していたとき、

自分で書いたナレーションを自分で読むという体験をしたことがありました。

 

あまりにも予算がなかったため、ナレーターを雇うことができず、

なぜかわたくしに白羽の矢が立つという信じられない展開に…。

 

会議のときからプロデューサーに「声がいいね」と

褒め言葉を頂いてはいたんですが、まさかそれがやったこともない

ナレーターへの伏線になっていたとは驚きでした。

 

普段は、原稿を読んでもらう立場なので気が付かなかったのですが、

ナレーションというのは、本当に難しい。

 

一度噛むと、なぜかドツボにハマってしまいNGを連発。

 

自分で書いた原稿ということで、文章の拙さのせいにもできず、

冷や汗ものでした。

 

デスクワークだけにあらず、こうした様々なことを経験できるのも

放送作家の醍醐味だったりします。

 

次回12月29日は、日経BPヒット総合研究所上席研究員品田英雄さんをお迎えして、

「2017年のヒット」をテーマにお送りします!

 

年内最後の放送、聞いてちょーだい!!

投稿者 : kintubu|2017年12月25日