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2018年3月11日

#153 3月9日放送分 震災とラジオ

今回のテーマは、

「震災とラジオ」でした!

 

震災から7年

3日11日で、“東日本大震災”から7年を迎えました。

 

マグニチュード9.0、最大震度7という強い揺れと、

観測史上最大とも言われる津波により、多くの尊い命が奪われ、

家屋や産業に甚大な被害をもたらしました。

 

また福島県では、東京電力福島原子力発電所が被災し、

放射性物質の放出をともなった、原発事故が発生しました。

 

震災以降、復興や再建に向けて様々な取り組みが行われてきましたが、

依然、避難生活を強いられている方々もいます。

 

まだまだ被害が続いているということを、私たちは忘れてはならないですね。

 

ということで今回は「災害を経験して気づいたこと、

変わったことはありますか?」という質問をリスナーに投げかけ、座談会を行いました。

 

≪ゲストコーナー≫

南相馬ひばりFM今野聡さんに「震災とラジオ」について

お電話でお話を伺いました。

 

南相馬ひばりFMは、事故のあった福島第一原発から

町の一部が20㎞圏内に位置する南相馬市から番組を発信しているラジオ局です。

 

南相馬の現状

南相馬市は、東京電力福島第一原子力発電所から

20㎞、30㎞、30㎞圏外というエリアがあって、

そのうち20㎞圏内は“避難指示”が続いていましたが、2016年7月に解除されています。

 

除染もひと通り終わっているそうです。

 

20㎞圏内の小高区では、昨年4月から小中学校、

そして統合された高校が始まったそうです。

 

20㎞圏内の南相馬市の人口は、元の3割くらいまで回復しているそうです。

 

日中には、高校生の歩く姿も見かけることができ、

それは住民たちの励みにもなっているそうです。

 

津波の被害を受けた沿岸部では、自然エネルギーとして

“太陽光パネル”“風力発電”(4基)が建てられ、

またロボット実験エリアとなる“福島ロボットテストフィールド”が今後整備されるそうです。

 

ようやくここ1~2年で、目に見えるカタチで、動きが出てきたそうです。

 

南相馬ひばりFMとは?

東日本大震災と原発事故を受けて、“2011年4月16日”から開局しました。

 

“災害FM”というのは、大きな災害が起きた際に、

自治体がラジオを通じて情報を伝えたいということを国に申請すると、

放送をしてもいいという免許が与えられます。

 

東日本大震災では、岩手、宮城、福島、茨城で計“30局”の災害FMが開局しましたが、

現在も放送を続けているのは、南相馬ひばりFMも含めて3局だけです。

 

なぜラジオに携わるようになったか?

原発事故により、南相馬市の20㎞圏内は、強制避難になりました。

 

それ以外でも自主避難をした人もいましたし、市でも非難を呼び掛けたそうです。

 

その結果、7万人いた住民が1万人まで減ってしまったそうです。

 

今野さんも家族で3週間ほど自宅を離れて避難生活を送っていたそうです。

 

しかし、高齢のお父様が避難生活により疲労が溜まっていたこともあり、

2011年の4月に南相馬に戻ってきました。

 

当時、仕事もなくなってしまい、「何か役に立つことをしたい」とぼんやりと考えていたところ、

南相馬の災害FMが臨時雇用制度を使ってスタッフを増やすことを知り、応募したそうです。

 

今野さんは、それまでメディアでの仕事は未経験でした。

 

どんな放送を発信してきたか?

ひばりFMは、南相馬市役所で元々会議室だった空間をスタジオとして使用しています。

 

最初の頃は、”役所での手続き”の場所や”支援物資”の受け取り先など、

被災した後の生活に密着した情報を発信していたそうです。

 

2人1組となって1時間の番組の中で、ひたすら情報を読み上げていたそうです。

また、市が測定している”放射能の数値”もお知らせしていました。

 

30ヵ所程度だった測定場所は、どんどん増えて、

最大で129ヵ所のデータを読み上げていたそうです。

 

住民の方々は測定器を持っていなかったので、

今野さんたちの読み上げる情報をペンを片手に聴いていた方もいたそうです。

 

放射能について、分からないという声が多かったので、

東大の先生を呼んで、番組制作もしたそうです。

 

放射能とはどういうものなのか?どう対応すればいいのか?など

分かりやすく説明する番組でした、

 

イベントも放送

夏には、“相馬野馬追”といって戦国時代の騎馬武者の格好をして、

馬に乗って街を駆け抜ける神事の実況中継や、

震災後、市民の中から生まれた、手作りの“ロックフェス”での生放送なども

行ってきたそうです。

 

避難指示が解除された日の夜には、小高駅から中継をしたそうです。

今野さんにとって、印象深い放送となったそうです。

 

大変だったことは?

震災、原発事故から1年くらい経った頃、少し明るい内容の番組を

制作しようとしたところ、色々と意見が出たそうです。

 

南相馬では、エリアの線引きによって、住民の状況が違います。

 

賠償も違いますし、「復興した」という声もあれば、

「まだまだ復興には遠い」という声もあります。

 

色々な立場の人をしっかり理解しながら、

気を配り、放送しなければならないそうです。

 

そんな中、最初に制作したのが、地元の民謡を紹介する番組でした。

 

また若者の声を届ける番組などトークを中心にした内容も放送したそうです。

 

くだけた会話もあり、リスナーからお怒りの声もあるかと心配していたそうですが、

杞憂に終わったそうです。

 

却って、生放送のオープニングトークでの何気ない面白い話などを

もっとして欲しいという要望があったそうです。

 

段々、明るい内容のモノが求められるようになりました。

 

メディアの経験のない素人集団だったからこそ、

市民の視点で常に物事を進めていけたそうです。

 

ラジオの役割とは?

ラジオは出演者とリスナーの距離が近いのが特徴です。

 

1人で番組を聴いていても、ラジオを相手にしゃべることもあります。

 

東北の被災地は、コミュニティがバラバラになって失われてしまいました。

 

そうした中、街のラジオ番組に、プロではなく、

聴いている人たちと同じ市民のスタッフが出演して、

たどたどしいトークながらもしゃべり、メールで交流を図って、

失われたコミュニティをラジオで繋げてきたという面がありました。

 

例え、メールを出さなくても、聴くだけで同じ時間と場を共有している気持ちになります。

 

今野さんたちのひばりFMをはじめ、東北で長い期間、

災害FMが必要とされてきたのは、そうした面が大きかったそうです。

 

街での取材

ラジオなので、顔バレしないと思っていたそうですが、

取材で街に出ると声をかけられることもあったそうです。

 

ときには、「こういう情報があるから」と相談を受けたこともあったそうです。

 

7年を振り返って

南相馬ひばりFMは、3月25日に閉局します。

 

今野さんは、街が絶望の中にあった頃から取材をしてきました。

 

段々と再生や復興が進んだと感じることもある一方で、

決してまだ終わりとは思っていません。

 

放送を楽しみにしてくれたリスナーには、

申し訳ないという気持ちだそうです。

 

≪今週の金のつぶやき≫

甚大な被害を起こした、東日本大震災。

 

そんな中、今野さんたちの南相馬ひばりFMをはじめ、

東北で災害FMが次々と開局し、被災者に必要な情報を届けてきました。

 

また、不安な暮らしが続く、地元の方々の励みにもなっていました。

 

同じ被災を経験した住民が発信する情報や言葉だからこそ、

リスナーの心に響き、長年支持されてきたのだと思います。

 

3月25日で閉局ではありますが、サイマルラジオを通じてインターネットでも視聴が可能です。

 

是非、興味を持った方は、今野さんたちの放送に耳を傾けてみてください。

 

次回3月16日は、ITメディアクリエーターニック土屋さんをお迎えして、

「キャッシュレス決済」をテーマにお送りします!

 

聞いてちょーだい!!

投稿者 : kintubu|2018年3月11日